いろいろな意見があっていいと思うのですが・・・
心理士の研修会でのお話です。
子どもの気になる行動に対してアセスメントをして、
その子の困り感について意見をするディスカッションでの出来事です。
ケースの内容の詳細はお伝え出来ませんが、「こだわり」がテーマになりました。
(私個人としては良い意味で「こだわり」と言う言葉を使うのは好きですが、
良くない意味で使うこと自体に抵抗があり、ほとんど使っていません。)
このケースでは「一番がよくて、それが叶わないときに大声で文句をいう」
のだそうです。
確かに「勝ち負けにこだわる」お子さん、という捉えは間違っていないと思います。
でも、果たしてこれは「こだわり」なのでしょうか。
この時点からの解釈が違うので、結果として異なるアセスメントとなります。
多面的にお子さんの思考、認知、特性などを捉えてアセスメントをすることで
得意なことや強みを生かすこともできる、と私は思っています。
私のアセスメントを伝えると、他の心理士から「避難」されました。
いろいろな意見があっていい、と私は思うのです。
ですので、とある心理士の先生から
「私はその視点を持っていなかったけど、そういう発想になるかなぁ。
私は違うと思うけど。」
と皮肉たっぷりに言われたときは、怒りを通り越して悲しみを感じました。
もしかしたら私のアセスメントは少し突飛だったかもしれません。
しかし、その子の行動を「こだわりがあるから」を起点として考えてしまっては
とても悲しいと感じたのです。
客観的に見て「こだわり」行動を呈している背景があるはず。
そこを無視して、今のこだわり行動のことだけを考えるのは、
対処療法のようになる感じがして、私はあまり好きではないのです。
この考え方、間違えているのかなぁ。
そして、心を扱う専門家のディスカッションで、
「それは違う」と断言されるのも、初めての経験で心が折れそうでした。
いろいろな意見があっていいと思う。
自分と違った意見でも批判せずに
それを客観的に見て、再度検討すればよい。
みんなちがって、みんないい。